僕は、大分市議会議員の松木大輔です。
子どもの頃の夢は、政治家でした。
それは、ちびっ子の僕が、みんなが幸せな社会を望み、その実現のために政治家という仕事があると思ったからです。だから、ちびっ子の僕の夢は、本質的には、みんなが笑顔でいることだった。
そんな夢を忘れて、少年期の僕はバスケットボールに熱中します。大分舞鶴高校に進学し、インターハイにも出場しました。
その後、立命館大学理工学部で都市システム工学を学びながら、僕は、生まれて初めて自分の人生と向き合いました。
やっぱり、僕の夢はみんなが笑顔でいることだった。
みんなを笑顔にするために政治家になろうと思いました。
政治家の親族やお金がなければ政治家になることは難しいと思い込んでいた僕は、自分のような境遇からでも政治家になれるルートとして、松下政経塾を受験しますが、見事に不合格。
大学の先生は僕をとても心配してくれて、就職をすすめてくれましたが、みんなを笑顔にして、社会に対して自分のメッセージを発信することができる職業として、僕は吉本興業でお笑い芸人に挑戦します!
・・・だけど、僕は面白い人ではなかった。
大阪でくすぶっていた25歳の夏、半年後に大分市議会議員選挙が行われると知りました。
僕は、子どもの頃の夢にチャレンジすることを決めました。
無職だった松木青年は、毎日街頭演説をしました。
恥ずかしながら、具体的な政策なんて、ほとんど持っていません。ただ、僕には民主主義に対する熱い想いがありました。
僕は、投票率が下がっていく中、民主主義が一部の人だけ参加するものへと形骸化していっていると感じていました。一部の人だけが投票することで、一部の人の顔色をうかがうことが政治家にとって重要になっている。
でも、社会はみんなのものです。その中には、グループに属さない人や、政治的な知識を持っていない人もいます。
一部の利益を代表する政治家が必要だということは、事実です。それと同じように、みんなのことを考え、みんなのために行動する政治家も必要だと僕は思います。一切の利害関係を持たず、みんなの利益を追求する政治家です。
本当の意味での市民の代表になりたい。
僕は、そのことを毎日訴え続けました。
気が付けば、沢山の人が応援してくれるように
なりました。
25歳で大分市議会議員に初当選しました。
ここからが、本当の仕事です。
志だけでは、みんなのためになる仕事なんてできるはずがありません。
僕の本当の挑戦がスタートしました。
議員の仕事は、予算案や条例案をはじめとする市長サイドからの提案を議決する際のチェック機能と、日々の調査・研究にもとづく政策提案機能が特に重要で、それらの役割を果たすことを期待され、税金から報酬をいただきます。
ちなみに、地域の行事に顔を出すことなどが議員の仕事だと思われている方もいらっしゃるかもしれませんが、自分の顔を覚えてもらう政治活動に対して税金から報酬が支払われるということは、あってはならないことだと僕は考えています。
25歳の僕は、チェック機能と政策提案機能の役割を果たす自信に満ち満ちていました。
・・・当然、世の中そんなに甘くありません。
長年かけて積み上げられてきた行政に対して、的確に建設的な意見を言うことは、当時の僕にはできませんでした。
順番が逆ですが、僕は猛勉強しました。
全国の先進事例を見て回ったり、専門書を読んでみたり、専門家や問題に直面する当事者の方にお話を聞かせてもらったり、厚かましくも一人で省庁に勉強させてもらいに行ってみたりと、とにかく色んな情報に触れ、様々な観点から地方自治を学びました。
その結果、自分で言いきれてしまうほどに僕の議員としての資質は向上し、仕事が楽しくて仕方なくなりました。
子どもに関する政策というライフワークとも言える分野にも出会い、議員1期目から2期目にかけて、僕は絶好調でした。
そんな時、僕はこころの病気になります。
30歳の春、僕は、適応障害というこころの病気にかかりました。
自律神経が乱れ、不眠、動悸、めまい、集中力の低下、気持ちの落ち込みなどの様々な症状があらわれ、とても苦しい状態が続きました。1か月の入院生活も経験することになります。
僕は、いつも前向きな自分が大好きでした。
でも、あの時の僕は、いつも暗い気持ちで、自分の人生に希望を持つことができませんでした。
大好きだった自分には、もう永遠に戻れない。
本気でそう思っていました。
抽象的ですが、社会のイメージする政治家らしい活動というものが、僕にとってはとても苦手なものでした。
選挙のためには、政治家らしい活動は効果的です。いろんなところに顔を出して、政治家らしい活動をしながら、社会のためになる仕事も同時に取り組んでいくことが理想的です。
だけど、僕の能力では、その両立が難しかった。闘病生活で自分と向き合い、そのことがこころの病気の原因だとわかってきました。
このままでは、僕は社会に何の貢献もできない。そんな自分が許せなくて、自分の人生そのものが無価値に思えてきます。
真っ暗な世界で自問自答する中、僕は、苦しみの核心が、自分が社会の役に立てていないと感じていることにあると気がつきます。
だから、初心にかえって夢を追いかけることにしました。
僕の夢は、政治家でいることじゃなく、みんなが笑顔になる社会を実現することです。
大分にとって必要だと考える政策を追求し、そのために全力を注ぐことからやり直していこうと、気持ちの整理をしました。
周囲には、わがままな考え方だと怒っている方もたくさんいらっしゃると思います。そうした方の気持ちに応えることのできない自分が情けないし、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
でも、これが僕の実力です。
苦手なことに自分を当てはめていくよりも、政策を調査・研究していくことで、僕はより社会に貢献できると判断しました。
その結果、これまでに増して、今の僕は勉強家です(笑)。
子どもの貧困問題を研究するため、大分大学の大学院にも通いはじめました。先行研究の資料を読み込んだり、レポートを作成したりと、社会人学生はけっこう大変ですが、新たな視点や知識が得られることで毎日が充実しています。
僕は、そんな今の自分が、人生で一番大好きです。
また、こころの病気になってわかってきたことがあります。
差別的な発言に触れたことが何度かあり、こころの病気に対する社会の理解は、まだまだ進んでいないと実感しました。
僕たちの毎日には、生きづらいことが溢れていて、「普通」の生活はとても脆いものであり、いつ誰が、困難な状況に陥ってもおかしくないということも、身をもって知りました。
こうした経験から、僕には、今までの自分では描くことができなかったビジョンが見えてきました。
大分市議会議員として、大分のまちづくりと毎日向き合ってきて、とっても大切なことがわかってきました。
残念だけど、政治にはみんなの幸せをつくることはできません。それは、幸せというものは、それぞれの個人の価値観によって存在し、一人ひとり違うものだからです。
だけど、政治には不幸をなくすことができると信じています。
誰もが、その存在を尊重され、安心して自分らしく生きることのできる素晴らしいまち。
そのまちに住む人は、それぞれの幸せを見つけ、それぞれの個性によって輝きます。
その輝きは、一人ひとり色が違う。
まちじゅうにきれいな虹がかかります。
僕は、大好きな大分をそんなまちにしたいです。
そのためには、やらなければいけないことが山ほどあります。
まずは、僕たちの現在地について考えてみる必要があると思います。
僕たちの社会の現在地ってどんなものでしょうか?
少子高齢化・人口減少社会という言葉は、よく耳にすると思います。合わせて、東京一極集中や地方消滅可能性都市なんていう言葉もあります。ここまでで、かなり厳しい状況だということがわかってもらえるはずです。
そこに加えて、格差と言われるとんでもない社会問題も存在しています。日本国民1億総中流というのは、もはや幻想です。
30年間で1.5倍に増加したひとり親世帯では、相対的貧困率が50%であり、半数の家庭が貧困状態にあります。貧困は教育に格差を生み、教育の格差は、格差の定着化を生んでしまいます。子どもの貧困問題は喫緊の課題となっています。
また、年齢を問わず、雇用や年金などの問題から、不安定な生活や苦しい生活を余儀なくされている人も多くいます。
僕たちは、コロナ禍で学びました。生活の保障がどれだけ大切なことなのかを。いざという時のための社会保障制度を、困っている人に漏れなく提供することができる社会であれば、僕たちは何度でも笑顔を探すことができるはずです。
そして、もう一つ重要な問題を僕たちは抱えています。僕たち自身の認識の問題です。僕が感じた こころの病気に関する理解の問題もそうですし、その多くが社会の適切な介入によって防ぐことができるとされている自殺の問題、様々な差別、児童虐待など、僕たち一人ひとりの認識を深めていくことでしか解決できない社会問題が本当に多く存在しています。
では、どんなまちづくりを進めていけばいいのでしょうか?
地方分権が進み、国と地方自治体での役割分担が明確化してきました。外交、安全保障のように国にしかできないことや、年金のような全国一律が望ましい制度などは国が担い、より生活に密接な行政サービスは、それぞれの地方自治体が担います。
地方自治体は国の下部組織というイメージを抱かれがちですが、実際には、それぞれに果たすべき役割が違い、法律上も、国と地方は対等であり協力する立場であると定められています。
また、国と地方の財政支出額を比較すると、財政支出総額の約6割が地方、約4割が国となっています。
地方分権の進展を背景に、人口減少をはじめとする諸問題が絡み、知恵を絞った自治による都市間競争は激化しています。
現代の地方自治の重要性が、わかってもらえたと思います。
福祉に対する新しい捉え方についても知ってほしいです。
子どもに対する福祉的な支援は、社会にとって経済的にも価値のあることだという考え方が浸透してきました。適切な社会の介入によって、子どもは自立した生活を実現し、納税額の向上と社会保障費の抑制をもたらします。また、貧困や虐待などが将来の健康に影響を与えることから、医療費や介護費の抑制につながるということもわかってきています。
大人に対しても、抱える困難が深刻化する前に適切な福祉的支援を提供していくことで、自立を促進し、個人にとっても社会にとっても、福祉を有益なものにしていくことができます。
こうしたことをみんなで共有することができれば、きっと、社会は変化していきます。
すべての問題が解決する魔法のような政策は存在せず、限られた予算の中で、地道に課題へ取り組んでいくしかありません。
子どもに関する課題については、僕が議会で訴えてきたことが形になってきました。
家庭の経済的事情によって、病院に行くことができない子どもが存在しているということから、これまで小学校に入るまでだった子どもの医療費の助成が、所得の低い世帯では中学校卒業まで対象が拡充され、無償化されます。
妊婦健診の助成についても、これまで14回までだった回数制限が拡充されました。
日本サッカー協会と教育委員会の協働によって子どもの生きる力を育む「夢の教室事業」を誘致し、毎年実施しています。
ほかに成果はたくさんですが(笑)、スペースの都合で割愛。
今後も、すべての子どもが、生まれた環境に左右されず、夢と権利の守られる大分市の実現を目指していきます。
福祉的な制度のあり方についても、議論を深めてきました。
行政が制度の利用者からの申請を待つという現在のスタイルでは、早期の社会保障の提供が難しかったり、支援を必要とする人に支援が届かないという事態を生んでしまいます。
この課題について、情報技術などを活用し、行政から市民に対して、その人に合ったサービスを積極的に届けていく、いわばオーダーメイドの行政サービスの実現の道を模索しています。
その第一歩として、令和2年度は、必要な人に行政サービスが届いているかということについて、調査と分析が実施されます。
僕たちは、原点にかえらなければならないと思います。
民主主義の社会は、みんなで考え、みんなで決め、みんなで行動することが大原則です。
どれだけ素晴らしい政策でも、みんなの理解と協力がなければ、効果が最大化しないものがたくさんあります。
みんなの認識を深めていくことでしか、解決することのできない社会の課題がたくさんあります。
僕は、それらをみんなで共有するために、一生懸命に街頭演説を続けてきました。
新型コロナウイルスの影響で、それができなくなっています。
だから、このお手紙を書いてみることにしました。
議会では、より多くのみなさんが、社会の課題や市政について知る機会を創出するために、大分市の自治体ポイント制度を構築することを提案したり、大分市民みんなが、まちの課題を自分の課題として認識し、主体的に議論した上で一つの答えを出すという機会を創出するために、住民投票制度を活用することを提案したりしてきました。
これらすべての考えの根底にあることは、ここまで僕が書いてきたようなことを、みんなで共有し、考えていくことができれば、社会が大きく前進するはずだという想いです。
地方分権によって、僕たちは、自らの手で、自らのまちと暮らしをより素晴らしいものにしていくチャンスを持っています。
僕たちのまち大分市の地方自治から、本当の民主主義をはじめていきましょう。
僕からの手紙を最後まで読んでくれて、本当にありがとうございます。もしも、あなたが、僕の考えに賛同し、僕を応援したいと思ってくれたなら、一つだけお願いがあります。
僕には、組織もないし、お金もありません。
だけど、仕事には自信があります。
沢山の人が属する組織からの応援は、政治家にとって、とっても魅力的なものです。
多くの資金は、不安定とも言える政治家の活動に、余裕と心の安定を与えてくれます。
だけど、僕は、自分が政治家でいることじゃなくって、みんなが笑顔になれる社会を夢見ています。
そのために必要なものは、お金でも組織でもありません。
あなたと一緒に民主主義を考えていくことです。
そして、「あなた」を増やしていくことです。
もしよかったら、僕の考えている政策や、僕が解決したいと考えている社会の課題について、ご家族やお友達とお話してみてください。僕からのこの手紙を、シェアしてみてください。
もっともっと、僕の考えを知りたいと思ってくれたなら、僕のブログやYouTubeを見てみてください。
いつかきっと、みんなで虹をかけましょう。